紙の月ホテル1203号室

角切り大根の漬物を食べるワタルから、音楽のようにぽりぽりと良い音がする。青椒肉絲とごはんが来て、形の良い右手が箸を握り直す。
「うまいなぁ」
嬉しそうに頬張る顔をじーっと見る。
「少し痩せたかな?僕」
自分を僕と呼ぶ男がわたしは好きだ。
痩せた?そうなのだろうか。最後に会ったのは2年前の夏。ダッフルコートを脱いでセーターになったワタルの肩も胸も、昔と変わらずたくましく美しいカタチをしている。
聞きたい事は山ほどあったが、言い出せなかった。味噌がしたたり落ちそうな肉とピーマンの千切りが箸の先からワタルの口に入っていく。いつしかほほえんでそれを見ているわたし。
「ようこちゃん、変わらないね」
ワタルは箸を置き、テーブルに置いたわたしの左手を取った。
「あなたはきっとお金持ちになります」
手のひらをマッサージしながら、占師と化す。こんな事をいつもやってた。わたしはくすぐったいのと、相変わらずなワタルに声を出して笑う。
「今度、砧公園を散歩しよう。サッカーコートがあるんだ。知ってる?」
バス通りから見えるサッカーコートは、小さな選手たちで賑わう。
「ようこちゃんみたいな子どもが遊んでる。行こうね」
手を離し、ワタルは再び箸を握った。わたしを子どもと呼ぶのも昔のまま。
押された手のひらは温かく、眠っていた血液がイッキに目覚めたかのように紅く染まった。ワタルと別れてから、手のひらでさえ誰も自分に触れてない。じんわりとした温もりが、手のひらから心に届き、わたしはワタルを見た。きっとさみしい目をしていたと思う。
「大丈夫だよ。僕がいるから」
即座に返したい言葉がある。
でも声にはしなかった。

(何が大丈夫なの?
あなたは誰かのオットなのに)

※このお話はフィクションです。実在の人物とは関係ありません。