紙の月ホテル1129号室

「3食食べて7時間寝てください」
発表会のように、モニターを患者に向け、その横でキーボードを叩く皮膚科の医師。
「あと、体重も落として」
トライアスロンの大会に参加した証なのだろう。ホルダーと一体化したカードがずらりと並んでいる。
「ビタミン剤欲しいの?今、ちょっとうるさいから、口から摂れるものは薬で出すなって事でね。C1000ってあるでしょ?あれ、処方するやつの3倍以上入ってるからあっち飲んだ方がいいよ」
(ビタミンCなんて、一度に多く取ったら出てっちゃうじゃん。まぁいいや、薬屋で買うから)
ありがとうございました、と頭を下げ、診察室を出た。処方箋をもらって恵比寿駅方面へ歩く。
別れた男が結婚してこのあたりに居住しており、すれ違う女が全て嫁に思える。 面倒なマイメンタル。手強いハートブレイク。
薬屋は60歳手前くらいの眼鏡をかけた男で、手伝いの女房と一緒に椅子など置いて居心地よく店をレイアウトしている。処方箋を渡して2つ並んだ丸椅子のひとつに荷物を置き、もうひとつに座る。
「シミのクリームねぇ。うちにはないけど、作って売りたいねぇ」
昔、青山の皮膚科で買った事がある。ピンクの蓋の小さな丸容器に入って1000円だった。
「冷蔵庫に入れてください。ビタミンAは長持ちしないので」
冷蔵庫に入れて忘れて、使わなかった気がする。クローゼットしかり、そんな事ばかりだ。横目で見れば、いいかも、と買ったマフラーが、日々チェストから溢れて、ベローンとはみ出てる。ストーンズのアイコンみたいに。
「お待たせしました」
処方箋のヨクイニン(ハトムギ)を90日分もらう。日に3回なのでかさばることこの上ない。ついでに目薬を買う。
「市場で最も高い目薬ですよ」
1800円。
駅に着いた。すれ違ったXBFの嫁は10人くらい。平日の午後。静かな恵比寿。
シェイクシャックでも寄ろうか?いや、やめよう。3食「ちゃんと」食べ、7時間眠るのだ。
改札を抜け、ホームで電車を待つ間、携帯電話を取り出す。メール。
「ごはん、いく?」
XBFからである。どこからかみているのだろうか?いいよ、と返す。が、行かないだろう。結婚したと知ってから食事に行ったのは一回だけ。もう1年以上会っていない。時折こんなやり取りをするが、いいよ、と返すと「わかった。じゃ、今度!」という返事が来て、その今度が来ない、の繰り返しだ。が、その日は違った。
「何時ならいい?」
え?
とまどいながらも、30分後に六本木、と返信する。
「1時間後でいい?」


※この物語はフィクションです。実在の人物とは関係ありません。