境界線
圭君が勝って、嬉しくて、「赤いスイートピー」を鼻で歌いながら、キッチンとダイニングの間の窓?に、こんな風に花を飾った。キッチンとダイニング。両者の目的は異なるがその境界線を共有するのは、牛乳パックの側面やレシートの裏面など、新しい広告媒体を目にした時にも似て、モチベーション(圭君がよく使う言葉)が上がる。
ふと、数日前に観た「文豪ストレイドッグス」の美術とアンサンブルの小粋さを思い出す。過去観た2.5より数段よく、総合プロデューサー(小劇団であれば主宰がそれにあたるだろう)のセンスを感じた。原作さんのパワーに頼った2.5ならでは感のようなレベル感はきっともうすぐ通用しなくなる。
その流れもありつつ、昨夜ちょっと嬉しかったのは、来週旗揚げ公演初日を迎える秋元康さんの劇団スタッフのクレジットをみた時だ。まず総合プロデューサーがいる。もちろん秋元さん。次に作演出あって次がクリエイティブディレクターだった。続いて音楽、振り付け、と続く。
昨年「マント〜」を創った時、これは舞台を使うが広告作品だ、と自覚して自分の中にある何かが震えた(商品は演出家・木村龍之介氏)。幸いにもまだわたしは広告の仕事を頂けていて、舞台を別世界と思っていたが、昨年のこの「マント〜」をきっかけに、私の仕事はあちこちとボーダーレスになった。そしてこの秋元さんの座組みトップ陣をみても、CDにはまだ先があるとわかる。グラフィックや空間のクリエイティブの先にライブがあるように、例えばポップアップストアとインスタレーションとの境界線も曖昧になっていい、と思い、先日クライアントにプレゼンテーションをした。真摯に話を聞いてくださり、実現への夢がむくむくと私をやる気にさせる。
ここ2年「なるようにしかならない」と自分に言い聞かせて日々を乗り越えてきたが、言葉で何度唱えても、芯は解放されず、家を買っておこうか、とか、ただ書くだけにしようか、とか、「逃げ道」を探して彷徨っていたとわかる。
今年になってやっと、ほんとうにやっと、解放された気がする。いまは明後日どんな風が吹くかさえ考えていない。何十年かぶりで、昨日と今日と明日で生きている。
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