祝初日!劇団5454「少年の庭」
息子の新作「少年の庭」が、彼自身が脚本家として所属する、劇団5454(ランドリー)によって、今日初日の幕をあげる。息子は劇団5454として、依存症、解離性同一性障害、支配者、ストレス、集合的無意識と過眠症など、毎回リアルなテーマを興味深く創りあげており、今回が8回目の公演となる。
言うにも及ばない当たり前のことだが、芝居は役者がダメでは成り立たない。言い換えれば、どんなダメな脚本でも、役者がちゃんとやれば芝居となる。逆はない。「脚本はよかったんだけど」などというセリフは、よほど芝居を知っているか、脚本を読んだ(しかも読み慣れた)人からしか出ようもない。みんな芝居を「観に」来ている。「読みに」来ているのではない。
話が一旦変わるが、劇団5454は弊社の劇団ではない。弊社の演劇制作部・プロデュースユニット四方八方(フォーホーヤッホー)が5454の公演をプロデュースしているのである。5454のメンバーに、弊社制作部の工藤佑樹丸と春陽漁介がいる、と考えていただけばわかりやすいかと思う。ゆえに、5454の役者さんたちには、いつも感謝している。その理由は、コピーライターであった私が、弊社AD古木と出会い、彼のデザインによって自分のコピーが素晴らしく映えたこととイコールである。
して、5454の役者陣であるが、彼らは実に素晴らしい。「観に」来てくださるお客様を裏切らない。息子の話は「さて、この話は何を言いたいのかな?」という入口は閉ざされており、なんとなく観てたらこんなことがわかった、というもの。当然役者もまず、同じプロセスを通らなければならない。脚本を読んで、飲み込んで、身体(しんたい)から放出して、他の登場人物と遭遇して、心に何かが流れて、完成する。脚本の変更がギリギリまでどころか、本番が始まってからも行われるのは、作家の「降りてき」具合はもちろん、役者の「あがり」具合が全員同じタイミングではないからである。
「あがり」の早い役者は、セリフが増えたり、心の在り方を求められる。5454の過去作品鑑賞において、「結果、今日の主役はあの人だったね」と感じ方が日々異なるのなど当たり前だ(たぶん、ほんとはだめ。笑)。全ては人の仕事。一生懸命仕事をする人が感動的でないはずがない。だから芝居は面白いし、ゆえに日常以下の作品も許す(えらそう)。役者のおかげで許されている芝居は多いだろう。と、ここまで世の役者すべてをあげてきたが・・・。
傑作をダメにする役者は許されない。お客は許しても、その役者に芝居することを許した神は許さない。傑作かどうかも、判断されなくなってしまうからだ。つまり、劇作家は、芝居を書くということと同時に役者を探すという作業が重要になる。とても時間がかかる作業である。なので、息子は役者を選び劇団にまとめ、そこに所属した。効率よく、作品創りに集中するために。良い役者が集まり、今日に至る。再び、感謝である。
長くなったが、そんなわけで今日は初日である。
「初日だからねー(期待してないよ)」と言われて避ける人も多いだろう。確かに芝居を観るなら初日じゃない。が、役者を観るなら初日だ。緊張マックスの芝居の中に才能が光る。とはいえ全公演完売である。皆さま、今日どうぞ、と結ぶことはできないが、5454のみんなに、初日、おめでとう!と言いたくて書き始めただけ。
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劇団5454の皆さん、本日初日おめでとうございます。
私に人生の愉しみを作ってくれて感謝します。
まずはゲネプロ、わくわくします。
お赤飯持って行きますねー!
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