終戦の日

昨日は元気な叔母と会えた。

息子が書いた芝居のDVD、別居して数ヶ月のパートナーが叔母にと届けてくれたメロン、公私共に深くお世話になっている善田さんからいただいたご実家の梨。叔母と母と祖母へのお土産&供物は、どこぞのなんちゃらな高級品より、こういうものが喜んでもらえる。昨日のように息子が一緒であればなおのこと。佑樹丸君やじゅんぺーなど、私たちの友人を伴うこともすごく喜ぶ。私を可愛がってくれた両祖母も両親も、天の住人。叔母が健在で、5歳の時と変わらず側にいてくれることが本当に幸いだ。

変わらず側に、と言えば兄もであるが、木曜から母が愛しんでいた山の天辺の家に行ってくれている。これこそ兄が今出来る最高の親孝行。私も安堵でき、とても助かる。

写真は、母の好きだったノリタケの皿に叔母が焼いたパンと善田さんの梨をを乗せたところ。昭和な果物フォークを刺し、ちゃぶ台に置いた。この皿には今年、以下の素敵な物語が追加されている。

今年の4月、叔母に負けないのでは?くらいに私を想ってくれている女将に会うため、私たちは広島に行った。
宮島に向かう際、フェリー乗り場の近くで、私が好きだと思う店があるから、と佑樹丸君が連れて行ってくれたアンティークも扱う雑貨屋さんに、なんとこのシリーズの皿があったのだ。フェリーの時間も迫ってるし、帰りにする?という気持ちもあったが、いや!せっかく佑樹丸君がそう言うのだから今行こう!とみんなで小走りでこの店に立ち寄った。あれはなんの偶然だったのだろうか。宮島から戻ってきた時にはもうその店は閉店していて、本来なら諦めなければならなかったその二枚のお皿が手元にあるのは、他ならぬ女将が買って送ってくれたからだ。

昨日叔母との会食時にも出た話なのだが、祖父は(会ったことはないが)佑樹丸君と同じ大分県の人である。「あの時の佑樹丸君はおじいちゃんだったのかな?」。そう感じてみるのも素敵じゃないかと思っている。


さて、ジョコビッチの試合後に行われる、ロジャースカップ準準決勝、錦織圭vs.ナダルの試合開始が遅れている。待つ間のテレビ桟敷で、これを書いているのであるが、ジョコビッチがタイブレイクに勝ち、2セット目を取ったので、錦織君の試合はさらに遅れそうだ。

蝉がミンミン鳴いている。

昨日、総理の談話の中にこんな言葉があった。
貧しさは心を劣化させる。素晴らしい人だった夫が、借金で変貌してしまった経験を持つ私には、とてもリアルだ。夫を選んだのは自分なのだ。父を選ぶことの出来ない息子に迷惑はかけられない。息子を豊かに育むには私の繁栄しかないと、私は未来を見て進んだ。

事情を話せば聞いた人も辛くなるので、孤独でもあった。が、そんな日々さえ、戦禍を被らなければならなかった時代を想えば、乗り越えて然るべきだったと思える。つらかったのかもしれない。しかし振り返れば、来た道に息子の咲かせた花が揺れる。

黙祷まで一時間15分。

錦織圭 vs.ナダルのコイントスはもう少し早いだろう。